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1960年代、輸出の工業化でみるべきものがなかったのは、国内産業でも工業化率が10%台に止まっていたことと整合している。しかし、その後の急速な工業化には先進諸国の直接投資の急増、これを促進するアセアン諸国の外資受入政策の展開が注目される。
工業化のテンポでは最も早かったマレーシアでも1974年には外資ガイドラインで出資規制を持っていた。85年には輸出指向外資の出資比率規制緩和をはじめ、93年には直接輸出80%以上の外資には100%出資を認めるまでになっている。タイも88年に新外資法を制定した後92年には輸出80%以上の輸出企業の100%外資を認可するなどの措置を採った。インドネシアも90年代にかけて同様な対応を採っているし、中国も79年には経済特別区を開設し、合弁を認可するなど積極的対応に転じた。こうしたアセアン諸国などの外資受入れ積極化により、対アセアン直接投資は日本の場合、80年代にはタイでは10倍以上、マレーシアでも6倍以上という爆発的な伸びとなった。また、その水準は低いものの伸びは大きく、NIEsの直接投資は合計では90年代に入るとタイを除くアセアン各国では日本の投資水準を上回るまでになっている。
アジア地域の急速な工業化は、このような国際的な経済環境に促進されたところ大であるが、同時に1人当たりGNPの急速な上昇にみられるような各国の国内市場の拡大に伴う内需に支えられるようになったことも事実である。モータリゼイションの急進展に典型的にみられる耐久財市場の拡大、普及率の上昇などがそれである。かつて日本は1950年代から60年代にかけて、輸出主力製品を繊維から家電製品へとシフトさせ、量産によるコストダウンが国内供給価格の引下げを可能として、国内市場を拡大しえた。アセアン諸国は80年代から90年代にかけてそのプロセスを展開させているともいえるのである。

 

 

 

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